どうも、底辺芸人です。
芸人さんのネタを見ている時に「ん?なんだか演技が下手だな。」「なんとなく学園祭っぽいな。」などと思うことは無いでしょうか。
言葉で言うのなら「素人感」「素人っぽい」でしょうか。
という訳で、今回はネタにおける素人感と言うものを話していきたいと思います。
ネタにおける素人感
まずネタでの素人感とは一言で言うと演技や喋りが下手ということです。
コントだったら演技力、漫才なら喋りの上手さや、こなれた感じが重要です。
「素人感」という文字だけを見るとマイナスのイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。
下手なことで生まれる笑いと言うのもあるからです。
上手さが全てではない
これは、どちらかというとコントの時に当てはまることです。
上手さが全てでは無いということですね。コントだと演技力が最低限必要になって来ることが多いです。
ですが、下手な演技であえて笑わせるという構成にすることもできます。
わざと下手に演技をしているとかではなく、下手を活かすための構成にしている訳です。
上手さが無くても考え方次第では笑いに繋げることが出来る。これはお笑いにとって大事なことですね。
それがお笑いの面白さでもあり良い部分でもあると僕は思います。
細かい技術は必要になる
と言っても最低限の細かい技術は必要になります。
お笑いで言うのなら漫才やコントに関わらず間や発声、表情などは技術の一つにもなります。
素人感と言っても、こういったことが出来ている上での素人感になるので、どちらかと言うと、そういう風に見せていると言っても良いのかもしれません。
逆に考えると上手いからこそできることなのかもしれません。それでも下手を意識した構成にすることで笑いが生まれるのは確かなことです。
何もなく単純に「下手だな」だけだと素人感とかではなく素人になってしまいます。
それでも笑いにならないことは無いのですがハードルはかなり高いです。
下手を活かせるのは強みでもある
こうしてみると下手を活かせるのは強みでもあります。
上手いからこそ生まれる笑い。下手だからこそ生まれる笑い。それぞれの良さがあります。
どんな形でも笑いにすることが出来るのはお笑いの魅力でもあると思いますし結局は見せ方や考え方次第で大きく変わることもあります。
自分の弱い部分を魅力だと考えて活かそうとする。それが笑いになれば一番ですが簡単では無いのも確かです。
それを必死に考えて形を生み出すのも芸人の仕事と言うことですね。
誰でもできるからこそ
こういった素人感が生まれるのは悪いことでは無いと僕は思っています。
上手さが全てではないという世界の象徴でもありますし考え方や見せ方一つで大きく変わるということでもあります。
例え下手でも才能が無くても考え方次第では変えられる。そういうことではないでしょうか。
これはお笑いと言う世界には誰もが入ることが出来るからと言うのも影響しているのではないかと僕は思います。
そして基本的にクビになることは無いですし続けようと思えば自分の形でいくらでも続けることは出来ます。
だからこそ売れて行くのが難しいという点もありますが、そういった世界だからこそこれからも僕は発信を続けていこうと思います。
ありがとうございました。
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